村上豊彦の中学生時代の思い出

村上豊彦の中学生時代の思い出

今回は私、村上豊彦の中学生時代の思い出の話をしようと思います。
先週末、用事があって実家に帰ったんですが、リビングの窓から外をぼんやり見ているうちにある出来事を思い出しました。
当時はアビシニアンという種類の猫を飼っていました。
私が中学一年の時に両親がペットショップで買って来た高い猫です。
古代エジプトでクレオパトラが飼っていたような気品ある毛並みの美しい猫でした。
ルディ色という黄色がかった茶色でした。
気ままで美しい猫は家族みんなから可愛がられ、ご飯をくれる母や猫じゃらしで遊んでくれる父には特に懐きました。
私は多感な時期でもあり、突然家族の一員として加わった猫に一定の距離をとっていましたが、それは猫にも伝わるようで特に懐かれはしませんでした。
でも、私がソファに座れば少しだけ距離をとって隣に座ったりするようないい関係になっていました。
村上豊彦と猫という一個人が認め合っているという感覚でもありました。
そんなある日、母がゴミ出しをしている隙に猫が逃げ出しました。

逃げた猫と村上豊彦

学校から帰って来た私に、母は「猫が逃げた」と低い声で言いました。
しばらくして会社から父が帰宅し、事情を聞いた父は母を車に乗せて外を探しに行きました。
私は家に一人になり、ぼうっとリビングの窓から外を見ていました。
猫のいない部屋は村上豊彦という存在を浮かび上がらせ、不思議な居心地が悪かったのを覚えています。
猫は父や母がいないとき、リビングの飾り棚の上からいつも外を見ていました。
人がいるときは飾り棚に乗ると怒られるので、それを知っているのは彼女に干渉しない私だけでした。
両親はペットの猫として彼女を可愛がっていましたが、一個人として彼女をわかっていたのは私だけだったのではないかと思うのです。
猫もまた単純な私の存在を認めてくれていたような気がします。
私は猫といるとき、学校の優等生としての村上豊彦やいい息子としての村上豊彦ではなく、単なるつまらない人間であることを許されたような気がしていたのです。
私は、猫は帰ってこないだろうなと確信しました。
外は雨が降り始めていました。

村上豊彦の心の中に居続けるもの

しばらくして両親が帰宅し、その表情で見つからなかったのだとわかりました。
誰もいないときリビングの窓から外をじっと見つめている猫の横顔を思い出し、私は満足していました。
母は「全然心配してないんだね」と言い、私はうまく説明できず「そんなことないよ」と返しました。
息子としての村上豊彦に戻り切れていないような感覚でした。
お通夜のような雰囲気で夕飯を食べている間も、猫のことを考えていました。
ペットの猫としての役割から解放された彼女は、私のことを思い出すでしょうか。
私はこれからも村上豊彦として学校や家での暮らしが続いていく。
私が彼女にこれだけシンパシーを感じていたのは、村上豊彦という人間の内面を映し出す鏡のような存在だったからかもしれないと思いました。
夕飯の後、雨はさらに激しくなっていましたが、父は「もう一回探してくる」と言って出て行きました。
母は「ああいうのを心配してるって言うのよ」と言いました。
村上豊彦的動物日記
そのあとため息をついて「高かったからねえ」と呟きました。
私は答えませんでした。
大人になって自由になった今でも、私はふとあの猫の横顔を思い出すのです。
まだそこにいるの?と問われているような気がするのでした。